令和3年節分

2月2日の節分は124年ぶりとの事。豆まきは2月3日と生まれた時から刷り込まれていたので不思議な感じだ。例年、尾久八幡神社の境内から豆まきをしていたがこのコロナ禍で中止となった。昨年までは前日から準備。子供たちに喜んでもらうため日暮里の菓子問屋に足を運び大量に駄菓子を仕入れていた。風物詩がひとつ無くなるだけで下町特有の季節感が無くなる。緊急事態宣言も3月7日まで延長となった。幸いにも当社の事業でコロナ禍の影響を受けている事業は少ない。只、人手不足は相変わらずだ。通年で中途採用の募集は行っており今年3月卒業の学生も引き続き採用募集している。先月は1名の学生の会社訪問があり、今月もひとり見学に来る。事業の撤退や廃業、従業員の解雇などの情報は毎日のようにニュースになっているが労働者の流動はまったく始まっていない。サービス産業の経験者はやはりサービス関連企業に移るようだ。昨年の10月より会社を休んだ日は数日くらいだ。しかし、全く辛いとは思わないが体の方が参っている。特に腰痛はこの寒い時期に現場にいると立ち上がれなくなるくらい激痛が走る。そんな時に先日、テレビで中島みゆきの楽曲で「ファイト」という歌詞について放送されていた。何か感激し早速、CDを買った。音楽はその時代を映す鏡だとつくづく思った。人生下り坂ばかりではない、上り坂に向けてファイトだ。

 

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