令和6年度期末

2011年3月11日に東日本大震災による一貫として福島原発の事故から14年経った。事故からすぐに復旧のための人員確保や体制などの得意先より問い合わせがあり翌月には現場に行く工程が組まれた。今になって忘れれないことは協力会の先輩会社のいくつかは現場復旧の派遣について断った会社があった。こんな緊急事態によく断れるなと不思議な感じを持ったことは事実だ。以前にも創業時に助けられた経験から困ったときはお互い様の精神が頭をもたげ、当社は先ずは社員の家族に説明して了解のもとに復旧作業チームを作り体制を組んだ、現場は想像を超える環境の中で年間延べ700人を超える人数で任務を完遂した。これほど社員、家族を誇りに思ったことはない。これがターニングポイントとなり高圧地中送電ケーブルの工事分野に取り組む第一歩となった。これらの緊急事態に協力しなかった数社は現在は廃業してしまっている。仕事は山あり谷ありであり特に周囲が谷の時に自分の立場を超えて出来ることは何でもやることが世の中の役に立つことを再認識している。ケーブル工事は装置産業だ。一昨年、数千万するウインチカーを2年がかりで発注、現在稼働しているが投資回収には何年かかるかは計算していない。計算しても絵に描いた餅、ではどうするか?回収を早めるには二つ、稼働率をどのようにして上げるかとこの会社の規模で自社でウインチカー持っている会社のステータスのPRが大事だ。投資をしない会社は存続しないことは過去の例でいくつも見聞きしている。そして、これからの労働力不足はどの業界も共通しているが働き方改革など昔で言うホワイトカラー的な発想の方向転換をしないといつかは大停電が必ず起こる。それが心配だ。。

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