昨日、母校の経営同友会の月例会で持ち回りのスピーチをする機会があった。何を話そうかと過去の資料を探していたところ2年前に日暮里工業会からの依頼で工業団体連合会に会社について題材は何でもよいのという投稿依頼がありその時に書いた文章があったので創業からの想い出というテーマで会員に話をした。その文章を転載する。今年で創業32年、当時を思い出し振り返る。学生時代から30歳で社長になるという裏付けのない幼い夢を持っていた。とりあえず会社勤めをしようとメーカーに入社。二つ目の転職した会社で新規事業を任され15年間で何とか軌道にのせたが30代後半になっていた。ふと考えたとき、このまま勤めていても役員になれても社長は無理という現実がわかり40歳手前で突然に退職届、18年間のサラリーマン生活を終える。そして次は何をやるか考えずに地元荒川区で創業。三畳一間くらいの倉庫を親父から無償で借りて中古の机を二つ買い電話機1台を置いてスタート。ひじ掛け椅子に座り、社長になったとご満悦。当たり前だが電話機が壊れているかと思うくらいベルが鳴らない。それからは戴いた退職金は羽が生えたかの如く飛んでいく。収入は無いので土日は宅配便会社でアルバイトの日々を過ごす。この窮状を知ってか知らずか有難いことにそれまでお付き合いのあった会社から今迄やったことのないカタログ作製や太陽光発電の普及見通しや動向調査などレポート作成の依頼があり何とか食いつないだ。今考えると助けるための口実であった。この件があり今でも自分の責任で出来ることは何でも困った人の助けになることをやろうという礎になった。そうこうしているうちに大学の先輩から東京電力さんを紹介いただき、その繋がりで関電工さんの協力会社になることが出来た。本当にご縁に感謝だ。また機会をつくり続編を書いていきたい。