64歳誕生日

1952年2月25日(月)群馬県富岡市で吉川助雄、琴の五男坊として誕生。親父が現在の富岡製糸場でサラリーマンをしていたが東京で一旗揚げるためか甘楽幼稚園を半年くらいで退園して東京に移転した。そのため幼稚園は中退ということになった。東京は最初、北区堀船の梶原商店街を横に入ってすぐのアパート。玄関はひとつでトイレも共同で隣の四畳半部屋は確か3人家族がいた。この頃は何処の家も貧乏で6畳一間に5〜6人寝ていた。服はお下がりで新品は遠足の時にやたらとデカい上着とズボンを履いていた。これは数年先まで着られるようにとお袋のアイデア。暫くして荒川区西尾久に引っ越して現在もある七福金属の創業に繋がっていく。工場と自宅は共用で住み込みの社員が常に数名同居しており親父の考えから食事、お風呂は働いている者が先というルール。家族で一緒の食事や旅行の記憶は無い。小学校は尾久西、中学は七中という地元中の地元。高校は東京電機大学付属高校から今もご縁がある東京電機大学工学部電子工学科を卒業した。七人兄弟の内、長男次男は家庭の金銭事情で大学を断念したが三男からは大学へ進ませてもらった。今思うと親父お袋は会社を創り、社員を親元から預かり育て、子ども七人を曲がることなく大学まで行かせることを難なくやった。あらためて自分には出来ないと思う。この親父の背中を見ていたのが影響したか、大学を卒業したら起業して社長になろうと漠然とと考える。今回の誕生日は卒業までの思い出をピックアップしてみた。来年の誕生日にはその後を順次書いていきたい。

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