誕生日

今日9月5日は亡き親父吉川助雄の誕生日。大正13年生まれ鼠年。ルーツは桧原村。群馬県一宮で育ち現在、世界遺産になった富岡製糸場(当時片倉工業)に勤めていた。片倉は大手企業で学歴社会でもあったと思う。親父は小学校卒でのサラリーマンであったが係長まで昇任していた。思いあって家族全員で東京へ移転して昭和32年2月に吉川加工所として創業、昭和34年3月有限会社、昭和42年株式会社化して現在の七福金属㈱となる。小学校当時は周りの皆が貧乏であったため生活が大変であるとか人が羨ましいという気持ちはまったく無い。アパート住まいは狭くひとつの布団に二人で交互に寝るなどとにかく狭かった。当然、勉強机など無く、勉強した記憶は無い。次のアパートは工場併設でマルマンのガスライターのタンク部を溶接していた。学校から帰るとすぐに仕事の手伝い、タンク部の漏れが無いか口で空気を入れて確認するなど原始的な検査。半田付けに塩酸を使っていたため口が痺れる。食事は住み込み社員が優先で残り物を家族が食べるという習慣。よって、家族での食事や旅行は記憶にない。私が中学生くらいから会社が軌道に乗り兄弟の中でも次男までは親父と共に苦労の時代を経験したが私は非常に恵まれた。七人兄弟にあっても長男、次男は高校の学費支払いにも苦慮し、お袋の質屋通いも常であったようだが4男からは大学に4人行かせてもらった。思い起こすとブログでは書ききれない。ただ、親父のアドバイスとして大学受験時、これからは電気の時代だということで東京電機大学に進学した。そして今の電気工事を主体にした志幸技研に繋がる。親父の見通しには頭が下がる。

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