吉川家と富岡製紙場

昨晩、久しぶりに七人兄弟のうち長男を除いた六人でお彼岸が近いということで集合。小台の割烹熱海で飲む。あらためて気づいたことは昨晩集まった兄弟のほとんどが幼稚園は群馬県七日市の甘楽幼稚園に入園して全員中途退園している。これは親父が勤めていた片倉製紙から脱サラするタイミングで東京に行き来していたことが原因のようだ。世界遺産に登録申請している富岡製紙場の社宅は今でも存在する。その社宅で皆育った。東京に親父と共に出てきてからの生活は今考えると大変なことの連続、引っ越しも何回か経験しているが当時の日本は誰でも同じで頑張れば成長する世の中であった。親父の事業の成長の裏には長兄、次男、三男の犠牲の上に成り立っていたようだ。一番下の弟も55歳になる。本当に年を取るのが早い。先の見える年齢になった今、生い立ちや親戚関係を再認識する意味でも兄妹会を継続しよう。

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