今朝の10時から母校の荒川区立第七中学校に来賓として参列。86名の卒業生が一人ひとり壇上に呼ばれ校長より卒業証書受け取る。思い出すと第20回の卒業生であった。57年前になる。当時は1クラス50名以上で5クラスあった。名前も顔も分からない位だ。卒業以来クラス会をやった記憶はない。小学校は地元の尾久西小学校であったがこれまた想い出は少ない。当時は皆、貧乏であり給食だけが楽しみであった。自分で云うのもおかしいが大人しい性格であった。中学時代は水泳部で荒川区3位の成績を残したが、たまたまその年の選手は不作でありタイムも平凡な数字でラッキーであった。卒業式典の終わりころに校歌合唱があり何十年ぶりか4番まで唄った。歌詞を見なくてもすらすらと唄えた自分に驚く。昨晩、ある祝賀会の記念講演で柔道家の野村忠宏さんの講演を聞く機会があった。オリンピック3連覇の話を中心に心が折れそうになった時の克服方法など話された。一本背負い投げで有名であるが連勝を重ねるごとに対戦相手は研究しており、決まらない時期もあったようだが技を増やすことにより相手が気を取られて背負い投げを気にするあまり他の技で勝ことが分かったとのこと。何事も研究と努力と気持ちの持ちようで偉業を達成した。事業の成功も絶対的な得意な領域を創るとともにライバル会社で出てきたときに太刀打ちできないような周辺の事業分野も作っておくべきだと感じた。