運転免許更新

更新してから早5年、とてつもなく時間の経つのが早すぎる。同時に年金請求書提出のお願い書類が届いた。この書類、非常に分かりにくい上、期日が誕生日までという。今週の土曜日25日が誕生日だ。近くの年金保険事務所に金曜日までに相談に行かねばならない。年金については他人事のように思っていたが年金額が郵送されてその金額を見るととてもとても皆さんどうやって生活しているのだろうと不安になる。昨晩、城北信金の懇親会で誕生日の話になりその流れで年金が貰えるから手続きしたかという話題になった。慌てて書類を見ると先ほどのように期限があった。すでに受取っているその人は経営者でありその振込金はすべて定期預金にしており5年も経つと相当な金額になっていて楽しみだという話。酒席での話題がまた役に立った。次の更新は70歳!どのような人生を送っているか楽しみだ。

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荒川区中小企業経営協会法人化記念式典

15日(水)5時20分よりサンパール荒川において記念式典に参加。第一部は「中小企業の未来を拓くIoT」の講演会。ネットミルは正しくこのIoTのパイオニアと自負している。家庭の分電盤とインターネットを繋ぎ生活リズムを離れたところでモニターして対応するなど既に5年前から行ってきている。まだIoTという言葉さえ無かったころだ。第二部の祝宴では荒川区長はじめ幹部職員が多数招かれていた。この会の少し前に区役所内で片山さつき参議院と面談させていただき下町地区の地震、火災等の災害対応について意見交換を行った。当社のネットミルに地震センサーを連動させ一斉配信することや特許取得したソーラーポンプの説明に興味を持っていただいた。この時に紹介された関西のメーカーとの協業にも話がおよび今後の災害対策商品の開発や販売について協議していくことになった。昨日は東京都産業技術研究センターで一日だけの展示会にネットミルを出展しプレゼンも行った。ここではスマートメーターを利用した見守りシステムに質問が多くネットミルスマートメーターシステムの実証実験も終了し何時でも実用化出来ることに高い評価を得た。

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東京イノベーション発信交流会

今週の16日(木)東京都立産業技術研究センターにおいて10時30分より1日だけの展示会にネットミル出展。ブース設営は当日の朝9時より開始するので1時間程度の設営となる。年に何回か展示会出展しているので段取りは問題ないがブースの幅や高さが微妙に異なるのであらゆる部材を持ち込む。今回はプレゼンテーションも行うのでブースに居る時間も少ない。展示会のテーマは「環境・エネルギー「生活技術・ヘルスケア」「機能性材料」「安全・安心」の幅広いテーマ。ネットミルは当然、安心安全のブースに出展する。翌日は東京商工会議所と日本商工会議所合同の知的財産委員会に出席する。本日、会議資料がメールで来た。この会議は発言しないと合同委員長である前特許庁長官荒井委員長より意見の有無を問われてしまう。そのため会議資料の事前読み込みをして行かないと恥をかいてしまう緊張する会議だ。

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MACCプロジェクト10周年記念交流会

2月10日(金)18時より荒川区役所地下食堂「さくら」にて平成18年にスタートしたMACCプロジェクトの記念交流会に参加する。MACCは荒川区の産業集積や地域資源の豊かさを生かして「顔の見えるネットワーク」の構築を軸とした「荒川産業クラスター」を形成して技術と知恵の集結により荒川区を産業面から元気にすることを目指している。このプロジェクトに最初から参加しており、このご縁で現在のネットミルのきっかけも出来た。2年に一度「キラリと光る荒川区のものづくり企業」という冊子を荒川区産業経済部で発行している。この冊子に掲載されている47社のうち当社と㈱ネットミルの2社だけが平成の創業だ。45社は明治、大正、昭和の創業で2代目から4代目という歴史のある会社ばかり。継続することも大変だと思うが創業する会社が少ないように思える。これは荒川区内は下請け企業が多く、自社製品を創る必要性に欠ける状態が長く続いたためと思われる。創業して思うことは2代目、3代目のとてつもなく優位なことは投資回収が終わっていることと社員の賃金が一定している。この賃金の一定化は経営にとってとても優位なことだ。これは定年者がいると賃金総支出が減り、安い賃金の新入社員により人件費が安くなる循環が存在する。この繰り返しが重要なこと。創業会社は定年退職者が出るまで人件費は上昇し続ける。よって常に売上拡大をしなければならない宿命を背負っている。世間では有休取得や働き方改革が叫ばれているが創業会社の現状を見てほしいものだ。

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寶蔵院初午

今週の水曜日、毎年恒例の荒川区西尾久三丁目にある新義真言宗「寶蔵院」の初午に参列する。寛永10年(1633年)に開山となり創建したといわれる。荒川辺八十八カ所霊場13番札所、歴史あるお寺。住職は本年、和歌山県にある新義真言宗総本山「根来寺」の管主になるという、素晴らしいことだ。午後4時にお参りが始まり5時より本堂内で直会がある。料理、お酒も大変な量が振る舞われ二次会へもお付き合いする。結構、飲んでしまう一日となる。小台にある割烹熱海の初午も22日にあり参列する。この日、割烹熱海は創業100周年行事も同時に行う。100周年実行委員会の委員として先般、幹事会を行い記念品や奉納の選定を行った。しかし、100周年続けることは気が遠くなるほどの歴史だ。荒川区の近所で思い当たる企業は先に八幡神社で100周年記念事業を催行した三橋産業や一部上場企業のアデカがある。当社は今年25年だ。50周年でも私の時代では到底考えられないほどの時間。取りあえず30周年目指して頑張ろう。

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尾久八幡神社節分祭

本日、午後4時より八幡神社で恒例の豆まき。村瀬宮司を筆頭に西川荒川区長、尾久警察署長、尾久消防署長をはじめ地元区議、都議、町会役員、氏子数十名が続いて社殿へ。全員で君が代を斉唱。お祓いを承け神社より枡を受け取る。この頃、境内には子ども達が一杯でとても賑やかだ。社殿内で鬼は内、鬼は外と大きな声で豆をまく。外では今か今かと待ち受ける子ども達。靴を履き替え三々五々にお菓子や各自持ち込んだ品物を一斉に撒く。遠い所にいる親子は眺めるばかりで物が届かない。毎年、お菓子は全部は撒かないで直会で社務所に行く途中でポケットより取り出して親子連れに渡している。今年はネットミルのイベント用に作製したファイバークロスをお菓子と共に撒く予定。直会後、サンパール荒川に移動し荒川区工業団体連合会新年賀詞交歓会に出席する。

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日光山輪王寺講東京日光会

毎年4月2日必ず催行している日光山輪王寺の強飯式。東京では昭和17年の第1回に始まりほぼ毎年「東京日光会」から受者(頂戴人)を輩出している。現在、この会の幹事をやっておりこの時期から日光山輪王寺と打ち合わせに入る。2月28日に浅草ビューホテルに輪王寺の強化部長をお迎えして今年の受者との顔合わせ会を行う。第1回から歴代受者は264名を数える歴史ある会。私が平成17年、受者になった頃は2泊3日の大名旅行だ。1泊目は輪王寺からのご接待で日光山の由緒あるお寺から観光地等はすべてノーチェックで一般開放していない場所でも入館。2日目は東京から大型バスをチャーターして数十人で大宴会。しかし、強飯式当日は厳粛な儀式でその内容はNHKでも当日ニュースで流れる。この強飯式は全国でも日光山だけに古くから伝わる独特な儀式。江戸期には徳川将軍家の名代や全国の名だたる大名たちも「わが藩の名誉」として強飯式頂戴人に名を連ねたとのこと。受者は勿論のこと参加者は「七難即滅・七福即生」の御利益が必ずある有り難い儀式だ。

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関西電力㈱業務提携

昨日、プレリリースされネットミルとの業務提携が関西電力㈱ホームページに掲載された。翌日には当社のホームページにもリンクした。ネットミルの構想は2010年、開発、製品まで4年位かかった。その頃はIoTという言葉さえ無く通信モジュールを搭載しかつ電池で1年以上稼働する装置など世の中に存在していなかった。インターネット接続して家庭の電気の使い方から分かる見守りシステムという発想は何処にもない。今思うと良くぞ製品化したものだ。怖いもの知らずとはこのことかもしれない。経営革新計画も取得して東京都の新製品新技術助成にも採択されて開発に突入したがネットワーク商品はソフト開発そのものである。今までの事業とは全く異なり暗中模索状態が続いた。試作と共に実証実験を行い自信を深め、全国の行政機関を行脚するも見守り=緊急通報という行政の発想に悩む。地元荒川区の理解の基にさらに実証実験を積み重ね現在のシステムとなる。今回は電力業界の小売りの自由化の中にあって顧客の囲い込みと差別化で優位に進めようとする電力会社と思惑が一致して見事、提携に至った。未だ、進化しなければいけない工夫が必要だがこの機会をひとつの転機と捉えさらに提携会社を増やしていきたい。

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東京商工会議所荒川支部 新年賀詞交歓会

明日、午後2時より日暮里ホテルラングウッド恒例の賀詞交歓会に参加する。一部は新春特別講演会「勝てる組織の創り方」元キリンビール代表取締役田村氏の講演。二部は交流パーティとお年玉抽選会。昨年の11月に七つある分科会のうち建設・不動産分科会長を拝命した。この会は区内会員企業の意見をまとめ提言を行なったり研修見学会を企画する。法人会の会員と重複しているので年末年始の顔合わせ会には良く会う役員が多い。今晩は尾久消防署協力三団体の新年会を今年創業100周年を迎える割烹熱海で行う。三団体合同のため約60名集まる。災害予防協会会長として中締めの挨拶を頼まれているが年齢と共に各会のお役を引き受けているがもうそろそろ整理していかないと体が持たない。明日、明後日とまだまだ新年会が続く。しかし、お酒も人と話すことも好きなので断れない自分がいることも確かだ。適当にと自分に言い聞かせ会話を楽しもう。

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創業25周年

本年は平成4年創業から25年になる。大学から卒業したら30歳で社長になると勝手に決めて就職先は真剣に考えずに入社。技術屋として配属されたが営業向きであったのか営業にどうかと打診された。もともと長く居るつもりでなかったのでこの機会で退社、暫くは今で云うフリーターで当時市ヶ谷にあるCBSソニーのアシスタントディレクターの小間使いでスタジオ予約を取ったりしていた。ミュージシャンは森田公一とトップギャランでピンクレディがデビューするところの時代であった。その後、十数年間サラリーマンを経験して40歳目前平成4年3月で退社する。退社後すぐに荒川区西尾久にある父親の工場2階4畳半の倉庫を借りて現常務と二人でスタート。ご縁がすぐにあり、今までと全く異なる分野である電力工事のトップの㈱関電工さんより仕事を頂く。千葉県の市川が最初の仕事で電力工事で必要な工具など何もなく移動する車両も無い、今考えると無謀な門出。サラリーマン時代は何でも電話1本で物が届き支払など頭の片隅にも無かった。独立した途端、購入は現金と引き換えでないと誰も取引してくれない。信用第一とは良く云ったもので歩き始めた会社に信用などあるわけがない。また、機会を得て創業からの話を書きたいと思っている。兎に角も25年続いたので取りあえず30年に向かって頑張ろう。

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