荒川区立尾久西小学校入学式

本日10時30分より60年前に入学した母校の小学校の入学式に来賓として参列する。大学を卒業した時から地元とはご縁が無くサラリーマン時代は西尾久にある実家の行事に帰るぐらいであったが40歳で地元に戻り会社を創業してからは町会、警察、消防、商工会議所、法人会ほか異業種交流会、大学OB会などに参加する機会が増え年齢からも各団体役員になることが増えてきた。小学校、中学校の行事は平日が多く参加する機会が無かったが今年からは地元への恩返しも考えて行事参加も優先していく。明日は母校である荒川第七中学校の入学式に参列する。校歌を聞くと本当に懐かしい、今になって思えばもっと勉強していれば良かったと思うが当時は飛鳥山、荒川遊園地とか荒川土手で遊ぶことが勉強であった気がする。地元にいると小学校、中学校の友達に会う機会が多いがほとんどが年金生活のようだ。自分はまだまだ働いている、この元気は子供のころの遊び中心の生活が今になって活力になっているかも知れない。

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お金のある場所

それは現場だ。最近、会社に来るだけで毎月給与が入ってくると思っている社員がいる。創業以来現場に出てなんぼの会社である。建設業界はいづれも同様な仕組み。これから10連休を迎える。当然会社の売り上げは立たない、しかし、給与は黙っていても毎月25日には口座に振り込まれている。常に社員に言っている言葉の中に「率先垂範」がある。リーダたるものは自分で現場に出て仕事を取ってこなければ給与は貰えないと自覚していると思っていたががっかりだ。これでは部下が付いてこない。現場に出なくては会社の収入は無い。事務所では何もやることは無いはずだ。当社は営業担当者はひとりも居ない、すべてが現場で良い仕事をすることが何よりの営業となっている。今更ながらの基本の話をしなければならない現実に、人を育てることの難しさをあらためて実感している。他人を当てにせずまだまだ頑張らなくてはならない。

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日光山輪王寺強飯式

4月2日(火)、毎年決まった日時に催行される平成最後となる強飯式に東京日光会として参列。日暮里ホテルラングウッドに集合し今年の受者ファミリーを乗せて都電熊野前から乗車する参加者をピックアップ、大型バスで一路、日光の輪王寺へ向かい10時30分に到着。受者夫妻と我々世話人は侍の袴に着替え11時開始の強飯の儀の会場、三仏堂に山伏を先頭に向かう。もう十数回参列しているが1250年以上続いているこの強飯式は厳粛な世界だ。三仏堂も10年計画の平成の大改修を終えた。式後は小暮門跡と昼食会で葵膳を食す。東京に戻り、夕方より割烹熱海にて祝賀会。40名を超える大宴会、参列者のカラオケでおおいに盛り上がる。この強飯式に参列することで新しい事業年度が始まると実感する。翌日は東京電力の協力団体である上野地区電力協会の役員会に出席、定期総会に向けて年度予算や行事予定を審議。5月6月は各外郭団体の総会が続くのでダブルブッキングにより出席できない総会が多いが出欠の判断は役員の立位置で決めている。来週の月、火曜日は卒業した地元の尾久西小学校と第七中学校の入学式に来賓として参列する。新入生の初々しさに心が洗われる時間だ。 

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平成31年度入社式

本日、平成最後となる入社式を行った。8時半より本社二階で安全祈願を行いコミュニティセンターに移動して2名の入社式。1名は今年の春に卒業した18歳、もう1名は先月面接をした中途採用者。入社の動機は人それぞれであるがご縁があっての仕事。ぜひ一人前になり会社に貢献できるように積極的に働いてほしい。外部の講演会で話しをするときに常に言う言葉は人生の中で卒業や入社のタイミングが自分を変えるビックチャンスである。これはお互い過去の生き方や性格は分からないので初対面が大事である。おとなしい性格であったならば入社時に大きな声と笑顔でしゃべれば明るい性格と誰しも判断する。これを継続すれば本人も今までにない自分発見になり行動も変化していく。会社にとって新規採用は大きな投資だ。1日も早く仕事覚えて戦力になってほしい。入社式後は組織改編の話と期末賞与の授与。会社は日々変化の連続だ。時代に合わせて生き残るには全員現場第一主義で常にお客の目に留まらなければ会社の存在は忘れられてしまう。今朝の日経新聞でファーストリテイリングの柳井社長が言っていた言葉「自分が経営者になったつもりで仕事をする。単純な労働者になった途端、仕事は時間を消費する作業に変わってしまう」まったく同感だ。本日新元号が発表された。新しい元号と共に会社の認知度を高め全国に発信していきたい。

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ブログ投稿1111回

昨日のブログで2008年2月2日にスタートしたブログの投稿回数が何と1,111回となった。11年間良く続いたものだ。きっかけは父親の逝去だ。虚脱感の中、オヤジの人生を客観的にみるとにプレイベートで自宅にいる時は勿論のこと、オフィシャルで地域社会での各種立場で活動している状況の記憶が家族には残っていない。今になって地域の人々よりこんな時、あんな時という話を聞いている。日記をつける習慣はないが自分も何らかしら記録を残し、かつ周囲の関係する人に自分の考え等の発信が出来ればと思い始めたのがこのブログだ。今日で年度末、また月曜日から売り上げ0からのスタートとなる。今後拡大していきたい事業が沢山あるし、新しく開発する機器も頭の中に固まってきている。残念であるが今月末で二名の退職者がいるが翌週には新卒1名、中途採用1名が入社する。都合変わらずの体制でいける。退職者はこれからが試練だと思う。過去の退職者を見ると皆幸せになっていないのが現実。志幸は幸せを実現する会社だ。

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期末賞与

あと二日で平成30年度が終わる。これから5月の決算書提出に向けて収支を細かく分析する。平成4年創業時は電力工事、保守で100%の売り上げであったが現在では30%台になっている。もし、電力工事だけであったならば既に廃業していた。僅か26年経過しただけで当時の同業者のほとんどは倒産している。よく言われることであるが強いものが残るのではなく変化に対応できたものが生き残る。まさに当社はこの変化を行ってきた。創業時には無かった電気工事、空調工事、街頭防犯カメラ、自動通話録音機、感震ブレーカ取り付け工事に始まりネットミル、環境測定、ホームドア工事に至るまで事業範囲を拡大してきた。しかし、共通していることはライフライン関連事業と社会貢献事業。結果、当社の存在が世の中になくてはならない方向になるよう受注努力を社員一同で行ってきた。平成30年度の売り上げは29年度以上になると予想される。会社の目的のひとつは社員の幸福だ。売り上げに伴う利益があれば社員に還元することは当然のこと。この時期に細かな収支は分からないがここは長年の経営者の感に頼る。4月1日の入社式の後に期末賞与授与式を行う。組織変更もこの時にできれば理想だ。平成31年度は途中で元号も変わる。会社ももっと変化させていこう。

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荒川区立尾久西小学校卒業式

20日(水)10時より母校である尾久西小学校の卒業式に来賓として出席。60年前に入学した小学校だ。今、校庭は天然芝となり体育館は2階にある。入り口隣にあった文房具屋は無くなり正面玄関は幅広くまっすぐ校庭に行ける。校舎の面影は全くなくなっているが変わらないのは校歌だ。今でも唄えるくらい頭に入っている。自分で言うのもなんだが今と変わらず勉強はまったく出来ない、おとなしく質問はもってのほか、授業の内容は理解できない、これも早生まれのせいだと自分で納得していた。通信簿は5段階でオール3、図画工作だけは5であった気がする。卒業生は2クラスで60名という少人数だ。60年前は1クラス50人以上で5クラスあったかと思う。何時から無くなったか分からないが「仰げば尊し」とか「ほたるの光」とか泣ける歌は無い。国家斉唱は残っていたのが嬉しい。4月8日(月)の入学式にも招待されている。楽しみだ。来週で平成最後の決算、数字がどのようになるか分からないが来期に向けて会社の体制をこの1週間で考えよう。

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荒川工業高校講和

本日、都立荒川工業高校1年生5クラスに対して区内企業5社の経営者による講和授業を行った。この企画は東京商工会議所荒川支部が主体となり区内の学校の生徒にもっと地元企業を知ってもらい大企業を就職先に選ぶ以外にも目を向けさせることが目的のひとつ。1限目は8時40分から9時10分まで会社説明等、各会社の経営者にお任せの講義、2限目はクラスを替えて9時20分から10時10分まで同様に行った。クラスの前の席に座る生徒は真剣な眼差し、後ろへ行くほど眠る生徒もいた。当社の講和は職業選択の仕方と夢を持つことの大事さを実際に創業当時の夢から実現までの話をした。しかし、やはり一年生だ。生徒に多くの質問をした中で夢を持っている生徒は9割以上無い。何となく他人事、そんな感じという顔が多く見られた。自分も高校一年生のころは同じだったかもしれないが将来は社長になりたいという願望があったかと思う。昨年は体育館に2年生全員を集めて私一人で一時間講和した結果、今年には荒川工業高校の卒業生が入社することになった。何でも行動することが大事であると実感した。来年も実施したいという高校からの要望もあるようなので区内企業の経営者にぜひ多くの参加を期待したい。

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Jビレッジ

先週の木曜日に東京都電力協会役員研修会でJビレッジに宿泊。ここは8年前の復旧工事の拠点になったところ。当時はそれこそ映画で見る戦場のような雰囲気でいくつもの手続きと着替えの手順とかで館内を歩き回った。今は宿泊設備も完備されサッカー場もまったく新しくなり、面影はない。Jビレッジから福島第一原発まで国道6号線を約20Kmをバスで移動。帰宅困難地域内に入ると側道から6号線に入る交差点にはガードマンがチェック。その国道を走る車両はすべて事前の届けが必要とのこと。当然、、指定車両以外はバイク、自転車も通行不可だ。この環境は8年前とまったく変わらない。店舗のショーウインドウは壊れたままであり住宅の入り口はすべてバリケートで立ち入り禁止。Jビレッジに向かう車中は8年前と同様に複雑な心境になった。原発構内の道路上はタイベック防護服の着用も無く線量も規定以下となっている。今日は3月11日、8年前の事故で日本は大変な不幸を背負い将来に向けての過酷な負の挑戦へと何十年も進んで行く道しかない。誰もが幸せになる社会を我々の責任で創っていかなければならない。

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東京都電力協会役員研修会

明日から1泊2日の予定で 国立開発研究法人福島再生可能エネルギー研究所と福島第一原子力発電所、福島浮体式洋上ウインドファームの視察。丸の内駐車場に集合しバスで移動する。宿泊先はJビレッジ。2011年に東日本大震災時に復旧作業で宿泊した場所だ。あれから8年近くになる。当時は電気ガス水道も止り、大変な環境の中復旧作業を多くの社員が行った場所でもある。今はサッカー場や宿泊施設も戻ったようだ。翌日は廃炉資料館、原発を視察して福島浮体式洋上ウインドファームを見学し帰京する。各地区の役員と事務局で18名の参加。今思えば2011年の出来事は会社にとってターニングポイントの年だ。仕事は無くなり計画停電の時に当社の電源車で地域の老人ホームに電源を供給してテレビに取り上げられるなどお金は入らないが会社のPRには役に立った年でもある。この日本の一大事に全社員が復旧作業に手を挙げてくれた。そのおかげで今の会社が存続している。その時に協力を拒んだ仲間の数社は今は廃業している。困った時はお互いさまの精神を忘れてはならない。

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